============= ▼ルーツを辿る▼ =============
1997年5月、鳥取県伯耆町に生まれる。
6人兄弟の長男として多くの兄弟姉妹に囲まれた環境で育つ。
2歳頃まで福井県敦賀市で過ごし、その後、兵庫県尼崎市へ移住。
幼稚園に通いながら、やんちゃで体格にも恵まれていたが、てんかんと喘息を持病として抱えていた。持病である喘息の改善のため、水泳を始める。
祖父母が営む家業を両親が引き継ぐため、小学校入学と同時に鳥取県に戻る。
自然豊かな環境の影響で、持病が完治。自身も家業のお手伝いをしながら、お金を稼ぐとはどういうことか、日常的に体験することとなる。
歴史に関する本が好きで読書が趣味であった。小学校の頃始めた水泳にも引き続き励み、県大会で優勝するほどであった。これが自身の成功体験にもなる。
食べることが好きで、中学三年生の頃には体重が100kgを記録。
高校一年生の時、交通事故に遭う。自分が乗っていた自転車が自動車に轢かれ、全身骨折の重傷。
思うように生活ができない状況の中で、漫画「宇宙兄弟」にハマり、感化される。自分と向き合う期間を過ごす。
事故の怪我から復帰。また減量にも成功。100kgあった体重は70kgに。
変わらず水泳に励み、受験勉強に励む一方で、徐々にアメフトに興味を持ち始める。大学ではアメフトをしようと決める。
大学に進学後、アメフト部に入部。
しかし、タイミング的にチームがあまり強くなく、本来、勝ちにこだわりたかったモチベーションが冷めてしまう。1年も経たずに退部。
退部を機に、大学生活に意味を見出せなくなり、深く落ち込む期間を過ごす。
気分が沈んでいたある時、経営者でもある叔父に呼ばれ、東京を見て回ることになる。
東京では同世代でも様々な活動に精を出している人がたくさんおり、自分も負けてられないと、刺激を受けたのであった。
意欲に駆られ、学生団体にも参加し、積極的に色々な活動しようと決意。
参加した学生団体では、ミャンマーに図書館を建てるという活動をしていた。
大学三年生の時、自ら企画運営を行い、就活イベントを開催。
ただ単にボランティア活動をするのではなく事業を創ろうと制を出す。イベント事業は好調だったが、コロナ禍の影響で活動休止を余儀なくされたのであった。
徐々にコロナ禍も終息を迎える頃、主催していた朝活の中で、テーマに上がった食品ロスという課題感に興味を持つ。
本来の食の魅力を多くの人に体感してもらうため、KANSAI食FESという食イベントを開催することとなる。
初回の食イベントの成功を受けて、さらなる挑戦に打って出る。大阪・てんしばにて5万人規模の食イベントを開催。
ほんまもんの日本食の魅力を世界に届けるべく挑戦を続ける。