============= ▼ルーツを辿る▼ =============
1974年3月、小林氏は兵庫県西宮市で生まれる。
父はサラリーマン、母は専業主婦という家庭で育ち、2歳下の弟とともに幼少期を過ごす。
幼稚園に通う頃、父の転勤に伴い一家は東京へ引っ越し、幼少期は東京で過ごす。
小林氏は車が好きで、よくミニカーで遊んでいたんだとか。
小学校入学直前に再び兵庫県西宮市に引っ越し、自然豊かな環境で育つ。
少年野球に参加するも、運動神経は特に際立つことなく、大人しい性格で目立たない存在でした。また、水泳を習い、中学受験に向けて塾にも通う。
神戸の私学の男子校に進学。
第一志望の学校には入れず、無意識のうちに、周囲への劣等感を感じることもあったように思うと振り返る。
野球からサッカーに転向したが、補欠に甘んじ、勉強も次第に成績が下がっていく。
中高一貫校でそのまま高校へ。引き続き、サッカー漬けの日々を送る。レギュラーになれないもどかしさや部内での人間関係への悩みもあったという。
膝の怪我で手術を受けた際、医者という職業に憧れを持つ。
浪人時代は勉強に力を入れ、不安定な時期を乗り越え、神戸大学の医学部に補欠合格する。
医学部に進学し、サッカー部にも引き続き入部するが、留年も経験する。
大学生活ではサッカー漬けの日々を送りつつ、医学の勉強にも励む。夜のバーでバイトをし、世間を知る機会を得る。
大学5年生の時に脳外科医を志すようになり、医者としてのキャリアをスタートさせる決意を固める。
大学を卒業後、脳外科医としてのキャリアをスタートさせる。
学生時代にはサッカーなどでレギュラーになれなかった自分が、脳外科医としては一流でありたいと強く思い、どんな状況でも手術を成功させる医者を目指す。
社会人5年目で秋田の病院へ転職し、手術に明け暮れる日々を送る。
頭蓋骨に穴を空ける手回しドリルの使用に違和感を覚え、新たな器具を開発したいという意欲が芽生える。秋田では5年間、脳外科医として従事する。
東京でカテーテル手術の訓練を受け、技術を磨く。
2年間の滞在後、大阪の病院での医者の枠が空いたため、関西に戻る。関西に戻ってからはキャリアが若干下り坂になるも、起業に対する意欲が高まる。
MBAを取得し、医者として働きつつも、起業の夢を抱き続ける。
てんかんの発作を予知する技術の特許を持つ工学系チームと共に会社を設立し、代表を務めるが、精神的なプレッシャーからうつ的な症状に陥り、代表職を辞める。
代表職を辞めた後、医療関係の仕事を受けつつ、個人事業を開業。
産業医や医療関係のアドバイザーとして仕事を請けながら、自分から発信して事業をするさらなる次のステップに挑戦している。